誰にとっても地元というものは、愛憎入り交じるもの。
筆者は神奈川県出身で、今も神奈川に暮らしています。大都市・横浜があり、古都・鎌倉があり、箱根には温泉もあり、湘南には海があり、観光地も遊ぶ場所もたくさんある神奈川が大好きです。
映画『翔んで埼玉』は、埼玉県民の自虐的な感性を強烈に皮肉ったユニークな作品です。自虐の中にひねくれた愛を感じさせるのがまた面白いのですが、強烈な自虐的ユーモアを思い切った手法で戯画的に描いています。
原作は魔夜峰央の同名漫画であり、作者の魔夜さんが埼玉在住の1982年に連載がスタートしています。自身の住む地域をおちょくるつもりで始めた連載は、魔夜さんが神奈川県に転居後ほどなくして終了してしまったのですが、連載から30年以上たってもカルト的な人気を誇り、ついに映画化されるに至ったのです。
埼玉県民にはそこらへんの草でも食わせておけ
ある日、東京都の名門学校・白鵬堂学院にアメリカ帰りの容姿端麗な麻実麗(GACKT)が転入してきます。その都会指数の高さで注目を集める麗は、学校の生徒会長であり東京都知事の息子・壇ノ浦百美(二階堂ふみ)と出会い、互いに惹かれ合っていきます。しかしある日、麗が田舎の埼玉出身であることが発覚、百美はショックを受けながらも東京から脱出を図る麗に着いていくことに。
この世界では、埼玉出身者は差別されています。体調が悪くなっても医務室を利用させてもらえず、「埼玉県民にはそこらへんの草でも食わせておけ!」と言われるような扱いを受けています。埼玉から東京に行くには通行手形が必要、学校でも埼玉出身者はボロボロの校舎をあてがわれているのです。麗は、そんな世の中を変えたいと考えており、百美は麗への愛情からそれを手伝うことにします。しかし、そんな2人の前に千葉からの刺客が立ちふさがり、物語は東京と埼玉から、千葉、群馬、さらには神奈川も巻き込んでスケールが大きくなってゆき、最終的には埼玉と千葉の間で全面抗争が勃発するのです。
本作の原作は主に埼玉県を自虐的にいじる作品でしたが、映画版ではその対象を千葉県や群馬県、茨城県、神奈川県にも広げており、特に埼玉と全面的に対立する千葉はかなりいじられています。埼玉には海がないからトンネルを掘って海を引こうとしていたとか、千葉県は東京ドイツ村などを例に東京のフリをしすぎているとか、群馬県が秘境の地扱いになっているなど、関東圏のあるあるネタが盛りだくさんです。また、神奈川県の立ち位置も面白く、東京に次ぐ2番手として盤石の地位を固めるために都知事に崎陽軒のシュウマイを送って蜜月関係を深めています。
千葉出身の監督が埼玉を羨ましがる?
本作は突拍子もない世界観ですが、役者たちの大真面目ななりきり演技によって、荒唐無稽な世界に説得力が与えられています。特に主演のGACKTはハマり役で、彼自身が虚構の世界から飛び出してきたような存在感がありますが、そんな独特の雰囲気を存分に活かしています。二階堂ふみも男性の役をいつもより低い声で見事に演じきり、原作の持つ耽美な雰囲気を上手く再現しています。
本作の監督を務めたのは千葉県出身の武内英樹監督。武内監督はインタビューで埼玉と千葉は永遠のライバル、漫画で脚光を浴びているのが悔しくて映画には千葉を盛り込みたかったと語っています。
自虐ネタ、裏に郷土愛 「絵になる」自然魅力 映画「翔んで埼玉」監督の武内英樹さん(千葉市出身) 【この人に逢いたい ちばの才人たち】(千葉日報オンライン)
また、埼玉県民を丹念に取材し、どこまでいじって大丈夫なのかを調査したところ、「もっとディスってくれ、何もないから注目されるだけで嬉しい」と語る人が多かったそう。
監督インタビュー:「翔んで埼玉」、「十年:その空気は見えない」(シカゴ新報)
この「何もない」という埼玉の特徴が、結末では重要な意味を帯びてくるのが本作の優れたポイントです。ネタバレになるので詳述はしませんが、「何もないけど、そこそこ豊か」な埼玉は実はみんなが求めているものなのかもしれません。
愛あるいじりが満載で、思わぬ郷土愛に目覚める作品です。みなさんも本作を観て、ご自身の地元自慢について見直してみてはいかがでしょうか。
動画配信サービスの「Amazonプライム・ビデオ」では、『翔んで埼玉』が見放題です(2020年4月3日時点)。
構成・文:杉本穂高
編集:アプリオ編集部