初めて月に降り立った男の葛藤を描く異色の宇宙映画『ファースト・マン』

初めて月に降り立った男の葛藤を描く異色の宇宙映画『ファースト・マン』

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」

これは、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロング船長の言葉です。その業績とこの名言とともにアームストロング船長の名前は世界中で知られていますが、実際の彼がどんな人物で、どのような思いで月面調査に挑むことになったのかはあまり知られていません。

映画『ファースト・マン』は、そんなアームストロング船長の知られざる半生を描く作品です。NASA勤務前の彼に起こったある悲劇から、月面着陸に至るまでの多くの苦難と犠牲を描き、彼がどのように葛藤していたのかを静かなトーンで語る、異色の宇宙映画です。

国家事業の犠牲となった宇宙飛行士たち

宇宙飛行のテストパイロットだったニール・アームストロングはある日、最愛の娘の死を迎えます。その日から人が変わったようにニールは、一度は断るつもりだったNASAの月面調査プロジェクトに志望します。テキサスのヒューストンに妻と息子とともに引っ越し、心機一転の生活を始めれば、娘の死の悲しみから立ち直れるという気持ちもあったのかもしれません。

当時、世界は米ソ対立の深刻な冷戦の時代でした。この2大国は様々な分野で競争しており、宇宙開発もその一貫でした。宇宙開発に関して、当時のアメリカはソ連の後塵を拝する立場で、挽回するためにまだ人類がなし得ていない月面着陸を目指していました。月面着陸という人類史上に残る事業は、極めて政治的な理由で推進されていたのです。

ニールや同僚たちは、月面着陸を目指して必死の訓練に挑みます。しかし、その中で大きな悲劇が起きます。ニールと同じパイロット候補だった同僚たちがテスト飛行時に起きた火災によって死亡するのです。こうした事故を受けて、世論は月明着陸のプロジェクトに懐疑的となり、多額の税金を投入してやることなのかという疑問が社会に蔓延していきました。ニールもまた、このような犠牲を出してまで推進することなのかと疑問を持ちながらも職務に遂行し続けます。そして、ついにアポロ11号への搭乗前日を迎え、家族にその覚悟を語るのです。

本作が異色であるのは、月への到着という人類史の偉業を題材にしながら、その輝かしさや勇気を称えるよりも、パイロットたちを国家事業の犠牲者として描いている点です。アームストロング船長はアメリカ史の英雄でもあり、大統領自由勲章なども受賞しています。宇宙飛行士を引退した後、彼には政治家への誘いがあったそうですが、これを断り、政治的活動からは距離を置いていましたが、この映画を観ると、国家に振り回された経験があったことが影響しているのかもしれないと思えてきます。

音のない月面世界の神秘性

本作は、ニール・アームストロング本人だけでなく、彼の家族や同僚たち、そして彼らの家族についても描かれています。テスト飛行で命を落としたパイロットの家族たちを見たニールの妻・ジャネットが何を想うのかについても取り上げられており、地上に残された家族の物語も非常に見応えがあります。

本作は月面着陸を詳細に再現し、巨額の予算をかけて製作されているのは明白ですが、非常に内省的かつ静かな作風で、人間の内面に迫る演出が特徴的です。とりわけ、月面着陸時の無音になるシーンは、大変に神秘的で、音もなく、生命の息吹を感じさせないその世界は、どこか死後の世界のような印象を与えます。

娘の死をきっかけに月面を目指すことになるニールの物語は、国家の犠牲となった命を悼む、生と死の物語でもあります。生命のない月でニールが何を思ったのか、はっきりとは描かれていませんが、彼は失われた命に想いを馳せていたのではないかと思えてきます。

実際のアームストロング船長が月に降り立った瞬間の映像は、NASAによりYouTubeで観ることができます。映画もこの映像に忠実に作られていますので、見比べてみるのも面白いですよ。

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構成・文:杉本穂高
編集:アプリオ編集部