日本は政治に無関心な人が多いとよく言われます。しかし、1960年代後半の日本は、政治的なムーブメントで社会全体が混沌としていました。
それは、非常に熱い時代でもあり、同時に暴力が吹き荒れた時代でもありました。「政治の季節」と呼ばれたこの時代、若者や知識人は互いに議論しあい、時には暴力で対峙しながら自らの思想を掲げ、日本をどうすべきか考えていました。
そんな時代に開催された伝説の討論会を記録したのがドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』です。当時、文壇界のスーパースターだった三島由紀夫が、思想的には相容れない東大全共闘の学生たちと駒場キャンパス900番教室で白熱した議論をおこないました。この映画はその議論の様子を伝えると同時に、有識者や当時の関係者のインタビューを交えて、あの論争はどんな意味があったのか、そして現代の人にとってあの論争から学べることは何なのかを明らかにしていきます。
三島と全共闘の共通の敵とは
1969年、ベトナム戦争が激化の一途をたどっていた頃、日本では学生運動が盛り上がっていました。左翼学生を中心にした日本の運動は、時に大きな暴力へと発展することもしばしばありました。1月には逮捕者600人を出した安田講堂事件が勃発しています。
この討論会は、その年の5月に行われました。三島由紀夫は、数々の名作を世に送り出し、また楯の会を発足し、自衛隊に体験入隊したり、映画出演などもこなすスーパースターとして認知されていました。
保守的な思想の持ち主だった三島が、左翼の学生の集まりである全共闘との議論を受け入れたことに当時は驚きがあったようです。会場には1000人近くの学生が集まり、三島をギャフンと言わせてやろうという空気が充満していました。三島は、単身そこに乗り込み、学生たちと議論を交わしたのです。
三島はその見事な弁舌で、敵である聴衆を沸かせていきます。全共闘きっての論客・芥正彦が赤ん坊を連れて壇上に挙がって論戦を交わすなど、非常に奇妙な状況にもなりますが、白熱した議論は、知的興奮を覚えるのに十分すぎるほどの内容です。
この議論を通して面白いのは、三島は保守で全共闘は革新と、イデオロギー的には対立関係にあるはずの両者には、実は共通の敵がいるということがわかってくることです。芥正彦が当時を振り返ってインタビューで語るのが印象的です。それが何を意味するのかは、この議論を観た人それぞれが考えるべきことでしょうが、ここで重要なのは、対立しあう同士でもどこかに共通項があり、どの部分なら合意できるのかを検討し合っているということです。両者の立場の違いを分けるのは案外些細なことで、実際には国の未来を憂いて行動しているという点には変わりないと互いに理解が進んでいく様子が、議論を通して浮かび上がります。
相手に敬意を持つことの大切さ
この議論を、三島は後に振り返って「大変愉快な時間だった」と振り返っていたそうです。そうした感想が出てくるというのは、互いが敬意を持って言葉を尽くしていたからでしょう。壇上では白熱した言葉がかわされますが、決して誰も相手をバカにすることはないのです。
本作の監督を務めた豊島圭介氏も、構成を考える際にその点を重要視していたようです。豊島監督は製作をすすめる中で「言葉と敬意と熱がいかに重要か」ということが浮かび上がってきたといいます。相手を負かすことよりも対話して相手の本質を知ろうという姿勢が見られるのが、この討論会の一番重要なポイントだと筆者も思います。
敬意を持つのが大事というのは当たり前のことです。しかし、現代はそれができていない時代なのだと、本作を観ると痛感します。人が生きる上で大事なことを思い出させてくれる一本です。
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