ずいぶん前から現代人は「本を読まなくなった」と言われるようになりました。第53回全国大学生生活協同組合連合会が実施した学生生活実態調査によると、53.1%が1日の読書時間を「ゼロ分」と回答したというデータも出ています。
このニュースを聞いて、「それがどうかしたのだろうか」と感じている人も少なくないのではないでしょうか。本を読まなくても、インターネットやSNSなどで文字を読んでいるため「読書をしなくてもいいじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、ネットで読むことと本を読むことはまったく違います。「毎日情報に触れているのに、知識が深まらない」と感じる理由は、そこにあるのです。
いつの時代も、読書は思考力や想像力を養い、自己を形成して人生を豊かにするためには欠かせないものですが、あえて「いまこそ」本を読んで欲しい、と著者は主張します。本書は、なぜ今本を読む必要があるのか、ということから、「読書が人生の深みをつくる」という前提のもと、ネットやSNSも活用しながら、知識や思考力、人格、人生を深めるためにはどのような本をどう読むべきか、ということまでを解説しています。
参考文献:『読書する人だけがたどり着ける場所』(齋藤孝著/SBクリエイティブ〔2019年1月出版〕)
ネットで文章を読むことと、本を読むことは違う
私たちはインターネットやSNSを通じて毎日文字を大量に読んでいます。そこには、最近のニュースだけでなく、古今東西のあらゆる物語や解釈、反応などが含まれており、一見、大量に情報を収集しているように見えますが、実際は身についていないということがほとんどです。それはなぜでしょうか。
実は、ネットで読むことと読書には、「向かい方」という点において大きな違いがあります。ネットで何かを読むときは、目の前にあるコンテンツにじっくり向き合うというよりは、より面白そうなもの、気になるキャッチコピーや画像のあるものへと視線が流れています。つまり、大量の情報の中で「これはない」「つまらない」と切り捨て、こちらが主導権を握って面白いものだけを選んで消費していく「消費者」となっているのです。
消費しているだけでは、積み重ねがしにくいもの。せわしなく情報に触れ、読んだ当時は「へえ」と思ったけれどすぐに忘れて身についていない、キーワードは拾ったものの詳しく読んでいないため、わかった気になって実際説明しようと思ってもできない。浅い情報をいくつか持っているけれど人生が深くならないのは、これが理由です。
対して読書をするときは、じっくりと腰を据えて話を聞くような構えになります。相手が天才的な作家だと、「早く続きが読みたい」と寝る間を惜しんで読書にふけることもあるでしょう。このように、時間をとって作品(著者)と1対1で向き合うと、「体験」として自分の中に刻まれることになります。実際、読書で登場人物に感情移入しているときの脳は体験しているときに脳と近い動きをしているとも言われ、体験は人格形成に大きな影響を与えているのです。つらく悲しい体験を乗り越えたからこそ人の気持ちがわかるようになったり、それを乗り越えて強さや自信を身に付けることができるように、読書で疑似体験をすることで、人生観や人間観を深め、想像力を豊かにして人格を大きくしていくことができるのです。
なぜ、いま本を読むべきなのか
読書は人に「深さ」をつくります。ここでいう深さとは、一つのことを突き詰めるだけの、いわゆる専門バカではありません。人生にとっての深さを養うためには、バランスが大切。つまり、一般教養もバランスよく身に付けている必要があるのです。
実際に、大学1年生には教養課程というものがあります。これはリベラルアーツと呼ばれており、古代ギリシャで生まれ、人間が偏見や慣習を含めた呪縛から逃れて自分の意志で行くためには幅広く実践的な知識が必要だという考えから、「文法・論理・修辞・算術・幾何・天文・音楽」などを学ぶよう定義されていきました。そして、のちに神学・医学・法律といった専門教育ができ、現代では近代に発達した経済学や自然科学などが加わって、さらにリベラルアーツの幅が広がっています。
専門分野の知識が豊富にあっても、その知識を活かすうえでは多角的な視点がなければ難しいのが現状です。例えば、遺伝子工学を学んで技術がわかったとしても、生命倫理とどう折り合いを付けるべきかという難しい問題に対処していくには、歴史や宗教、哲学などの幅広い知識がなければならないのです。つまり、ますます教養が重要とされる時代なのに、本を読んでいないということが起きてしまっているのです。
読書をする人だけがたどり着ける「深さ」とは?
大学の講義のほかに一般向けにおこなう講演や、メディアからの取材を受けることがある著者は、本質的なものに触れる深い質問ができる人と表面的な部分にとらわれた浅い質問しかできない人がいると感じているそうです。
深い質問の場合は、その質問が刺激となって頭をフル回転させて会話をするため、お互いに思考が深まって実りの多い時間になります。しかし、浅い質問の場合は聞かれたことに答えるだけで、さらに話が広まったり内容が深まることはあまりないそうです。私たちも日常生活で、映画を見た感想やニュースについて話をする際、聞く人が刺激を受けるような面白い話ができる「深い人」と、みんなが言っているような一般的なことしか言えない、「浅い人」がいると感じることがあるでしょう。いうまでもありませんが、話を聞きたいと思えるのはもちろん、「深い人」です。
では、その浅い・深いはどこから来るのでしょうか。ズバリ、「教養」です。教養とは、雑学や豆知識のようなものではなく、自分の中に取り込んで統合し、血肉となるような幅広い知識を指しています。重要なのは、物事の本質をとらえて理解すること。つまり、バラバラとした知識をたくさん持っている「物知り」ではなく、それを統合的に使いこなすことができるのが「深い人」なのです。
その深い人になるために最適なのが、「読書」です。本を読むことで知識や思考だけでなく、人格を深めることができます。また、読書によってコミュニケーションを深めることも可能です。コミュニケーション能力の根底には「認識力」があります。私たちは文脈などから、相手の状況や感情、言動を認識してコミュニケーションをとっています。文学には複雑な感情が描かれていることが多いため、読書をすることで複雑な感情を読み取ったり言語化したりする能力を身に付けることができるのです。魅力的なのは、深いコミュニケーションができる人、人間性が高い人、深みのある人。読書をすることで、知的で教養のある人生が手に入るのです。
構成・文:吉成早紀
編集:アプリオ編集部