「お客に商品を買ってもらうにはどうしたらよいだろうか」と考えているビジネスパーソンが多いのではないでしょうか。実は、「ことば」の裏を読み解くと、お客の心の機微や具体的な行動を理解するのに役立ち、ビジネスを見極める新たな視点が手に入ります。
本書は、一橋大学でマーケティングや消費者行動論を教えている著者が、ちょっとした小話を通じて、マーケティングに重要な53個の概念を解説。「ことば」はあらゆるマーケットを制する「鍵」であると著者は説きます。
ことばを知ることで、お客の心を動かすインサイトが見えるようになり、お客が満足してお金を払ってくれる、優れたマーケティングを実現できるようになるはずです。
参考文献:『いまさら聞けないマーケティングの基本のはなし』(松井剛著/河出書房新社〔2018年9月出版〕)
マーケティングにいちばん役立つツールは「ことば」
著者が大学で教えている消費者行動論は、「なんでそれを買ったのか(あるいは買わなかったのか)?」を考える学問分野です。消費者が、商品とどのように邂逅し、所有するに至ったのかを解明するツールの1つに、概念(ことば)があります。
概念とは、物事の共通部分を見出して表現したことばのこと。例えば、会話の中で「○○くんはリア充だから」や「ゆとり(世代)だからね」などと言うことがあるかもしれませんが、この「リア充」や「ゆとり世代」ということばこそが概念です。われわれは、このようなことばを使う時に、「リア充」や「ゆとり世代」に見られる共通の特徴を見出しています。「リア充」だったら、モテるとか友達が多いというイメージを思い浮かべ、「ゆとり世代」であれば、あまり勉強していない、物事に受け身であるなどと想像するのではないでしょうか。
ただ、これらの言葉を使う時は、同時に「非リア充」や「ゆとり世代以外の世代」のことも無意識に考え、線引きをしているものです。このような頭の働き方について、社会学者のタルコット・パーソンズは、サーチライトという例えで表現しており、概念(ことば)は、なにかを照らしていると言います。現に、「リア充」や「ゆとり世代」ということばがなかった時と、広まってからは世の中の考え方が違って見えているはずです。
消費者行動論で使われる概念(ことば)も同じ。サーチライトたる概念(ことば)を知ることで、お客についての「なるほど、そうか!」というインサイトが見えるようになり、優れたマーケティングを生み出すことができるようになるのです。
イラスト:田渕正敏さん
そもそも、マーケティングって何のこと?
「マーケティングとは何か」と聞かれて、説明できるでしょうか。マーケティングとは、「ありがとう」と「おかね」の両方をもらうこと。つまり、顧客満足と利益、どちらも欠けることなく手に入れることが重要です。
例えば、「ありがとう」はもらえるけれど「おかね」がもらえない場合を考えてみましょう。お客は満足しているが赤字になっているという状況です。利益を度外視して安い値段でモノを売れば、お客は当然喜びます。しかし、売り手側の立場で考えると、商品を仕入れるお金がないために、明日以降の商売を続けられません。かつて、クロネコヤマトが宅急便を始めた時は「サービスが先、利益が後」という方針でしたが、その眼目は「いいサービスを経験したお客がその後も客になって、利益が生まれる」ことにあります。もしいつまでも利益が得られなければ、成功おろか、存続すらできなかったはず。
「ありがとう」はもらえないけれども「おかね」がもらえる場合も同様に、うまく商売をすることができません。この状況は、お客の満足は考えずに利益を得ようとするパターンに当てはまります。海外旅行先の観光地で、安物を高く売りつけられて悔しい思いをした経験がある人もいると思いますが、人生で一度しか利用しない場所での取引であれば、将来の取引は考えません。しかし普通の商売では、一度買ってくれたお客を満足させて、リピーターになってもらうことが大切。一期一会を悪用するようなビジネスは通用しないのです。
学生、ビジネスパーソンを問わず多くの人が、マーケティングのことを「ありがとう」、つまり「顧客満足の追求」だと勘違いをしています。現在のお客の満足を得ないと将来のお客がいなくなるし、現在の利益が得られないと、将来のビジネスができなくなります。マーケティングを考える際は、「ありがとう」と「おかね」はどちらも欠けてはいけないと認識しておいてください。
業界の外を見ないと、マーケティング近視眼に陥ることに
ここまで、マーケティングに関する基本的なことを説明してきましたが、今度はマーケティングに役立つ53個の言葉のうちの1つをお教えしましょう。
みなさんは、自分の服を洗濯していますか。自分でしている人もいれば、家族の誰かにお願いしている人もいるでしょう。洗濯の工程を改めて考えると、色物を仕分けて洗濯機に入れ、洗剤や漂白剤柔軟剤などを投入し、洗い終わったらハンガーにかけて干して乾いたら畳むなどの作業があり、とても大変です。洗濯機を買えない場合はコインランドリーを利用したり、洗濯板で手洗いする、クリーニング屋に出すなどの方法もありますが、いずれも高すぎたり手間がかかりすぎるので、服を洗う方法として洗濯機や物干し竿、ハンガーなどを購入し、消費者それぞれが自分で選択することが一般的になっています。
ここでポイントなのが、われわれが洗濯機を買うのは、「洗濯機が欲しいのではなく、手間をかけずに洗濯ができる機能を欲しいから」だ、ということ。もしクリーニング代が仮に今の値段の10分の1になったとしたら、多くの人が自宅で洗濯するのをやめてクリーニング屋に出すでしょう。
実際に1900年代のアメリカでは、テレビジョンが普及し、映画産業に大打撃を与えました。テレビが一般家庭に入ると、受像機を購入すればいくらでも無料で番組を見られるようになるため、映画館に行く人が減ってしまったのです。このとき、アメリカのマーケティング学者であるセオドア・レビット氏は、映画産業は「マーケティング近視眼」に陥っていると指摘。近視眼とは、目先のことばかりにとらわれて、将来を見通す力がないことを意味しています。映画産業は、自分たちは映画を作っていると誤解しているけれど、彼らが作っているのは、本当はエンターテインメントなので、より安価なモノが出てきたらお客が奪われてしまうのは当然です。一見、技術的にも産業的にも異なるモノやサービスと競合していることを見逃すことを、「マーケティング近視眼」というのです。
話を戻すと、パナソニックの洗濯機は、日立の洗濯機だけと競合しているのではありません。クリーニング屋や家事代行サービス、コインランドリー、洗濯板といった、洗濯という機能を実現するほかの手段と競合しているのです。洗濯機は洗濯機と競合しているかのように業界の枠内にとどまっているとマーケティング近視眼に陥り、ハリウッドがかつて直面した困難に当たってしまうことになるのです。
河出書房新社のコメント
マーケティングは、社会人になったらどんな分野の仕事をしていても必要不可欠な知識。とはいえ、忙しい日々のなか、根本から勉強することは簡単ではないでしょう。本書は日常出会う身近な場面を例に、マーケティングの根底にある考え方を説明しているため、気楽に読み進められます。
著者は将来ビジネスの中核を担うことの多い学生を多く輩出している、一橋大学で、マーケティングの大人気講義を受けもっている教授です。専門用語を使わずに、専門知識をわかりやすく伝えることにかけては右に出る方はいないと言っても過言ではないでしょう。
事業がうまくいっている人の成功談にならうのではなく、自分が成功するにはどうすればいいのか、考える力を身につけたい人には最適です。社会人になりたての人から、マーケティングの部署に所属してマーケターとして活躍している人まで、どんな人にも発見がある本だと思います。
構成・文:吉成早紀
編集:アプリオ編集部