経営者はもちろん、事業やマーケティングに携わる人々の多くが、今後の企業の戦略を考えているでしょう。中長期的なビジョンを描くには、これからの未来に何が起きるのかを予測しなければなりません。しかし、テクノロジーが進化し、生活環境や産業構造を大きく変えつつある現代では、未来を把握するのが難しくなりました。特に、団塊ジュニア世代以上の方が若かった頃の価値観は、1980年代から2000年代初頭までに生まれたミレニアル世代などの若者には通じなくなっています。
おもてなしよりもスマホを通じたオペレーションのほうが満足度は高く、モノは買うものからシェアするものへと意識が変化するなど、従来の常識や方法が通用せず、悩んでいる人も多いのではないでしょうか。その上、世の中はこれらの目先の変化だけでなく、超未来的な話までさまざまなレイヤーの話があふれているため、どの未来を基準に戦略を立てるべきなのかわからず、困惑している人も多いはず。
本書は、クリエイティブディレクターとしてさまざまな企業のブランド戦略を支援していた著者が、今起きている変化を丁寧に解説し、いずれ実装される可能性のある未来と同じ方向に事業やブランドの方向性を揃えるための、企業戦略に関わる人が持つべき10の視点を紹介。今回は、実現可能な未来社会のベンチマークとして、トヨタ自動車の戦略を紹介します。
参考文献:『すべての企業はサービス業になる』(室井敦司著/宣伝会議〔2018年12月出版〕)
メーカーからサービスブランドへの変革を宣言した、トヨタ自動車
2018年に、米国ネバダ州で毎年開催されるCES(Consumer Electronics Show)で、トヨタ自動車の豊田章男社長は「クルマ社会を超え、人々のさまざまな移動手段を助ける会社、モビリティ・カンパニーへと変革することを決意」したと宣言しました。つまり、モノを作って売るという製造業の自動車メーカーから、モビリティ・サービスを提供するサービス事業へシフトするということ。モビリティ・サービスとは、「移動のサービス化」という意味があり、MaaS(Mobility-as-a-Service)と呼ばれています。
この実験的な取り組みは世界中でおこなわれており、特にフィンランドの首都・ヘルシンキではいち早くMaaSが実装され、2016年から鉄道やバス、タクシー、ライドシェア、レンタル自転車など、民間の交通手段を使った移動提案を受けて料金の決済もできる「Whim(ウィム)」というアプリを使ったサービスが利用されています。
このサービスの最大の特徴は、すべてがスマホ上で完結するということ。あらゆる交通手段はアプリが提供するサービスプラットフォームと繋がっており、複数の移動手段を繋ぎ合わせた最適なプランがアプリ上に提案されます。そのプランを購入すると、スマホ上でルートマップが起動して駅やタクシーの乗車場所などをナビゲーションしてくれて、スマホ上に表示された二次元バーコードをチケットとして利用する仕組みです。
トヨタが考える新しいビジョンとは?
トヨタ自動車が見据えているモビリティ・サービスは、現在ヘルシンキで展開されているサービスを一般顧客の利用だけでなく、法人を対象とした事業にまで対象を広げ、さらに、車やバス、電車と言った移動手段を独自のモビリティ端末に統一することです。
トヨタが考案したサービス利用者が使う移動端末(自動車)は、「e-Palette(イーパレット)」と呼ばれる長方形の箱型の自動運転を搭載した電気自動車。「e-Palette」はIoT端末で、不特定多数の人が利用します。1人で利用する際は無人のタクシー、不特定多数の人の行きたい場所が異なる場合はライドシェアサービスとして機能し、決められた順路で運行し、特定の場所での乗降がある場合は、バスや電車のような働きもします。
この「e-Palette」は、人を運ぶ以外にもさまざまな機能として使用可能です。たとえば、「Whim(ウィム)」のような仕組みを利用し、午前中はカーシェアリングサービスで一般ユーザーが利用した後、午後は病院への連絡バスや配送トラックとして利用するなど、24時間オンデマンドで機能を切り替えられます。また、車両室内空間がオフィスやパーソナルラウンジになるなど、さまざまな業態をイメージしており、いろいろなサービスをリアルタイムかつオンデマンドで提供するプラットフォームも想定しています。
さらに、eコーマスが買い物の主軸になっている今、店舗の価値を活かし、オンラインとオフラインをつなぐ購買体験のデザインとして、移動型の店舗またはショールームとして街を回遊することを提案しています。例えば、スニーカーを購入したい利用者がeコーマスにアクセスして自分が気になっている商品を複数選択すると、その商品を乗せた「e-Palette」が利用者のもとへ到着。試着をして気に入った商品があれば、車両から出るだけで決済が完了する仕組みです。
また、レストランやコーヒースタンド、ビアバー、ピザ屋、ゲームセンター、ホテルなどさまざまな形態の「e-Palette」が連なれば、街や都市としても機能します。たくさんの建築物が土地に固定され、人が暮らし、コミュニティを持っているという既存の概念を融解し、オンデマンドでどこにでも現れて消えていくという、新しい街や都市の定義を拡張することも可能です。
Amazon 、Uber、ソフトバンクらとの協定で実現するトヨタの新構想
実は、これらのトヨタ自動車の新構想は、自社の力だけで実現しようとしてはいません。2018年のCESでは、協業企業としてAmazon.com,Inc、Didi Chuxing(中国版Uber)、Pizza Hut,LLC、Uber Technologies Inc、マツダ株式会社を挙げ、ソフトバンクとの提携も発表し、モビリティ・サービスを提供する新社会「MONET Technologies Inc. (モネ・テクノロジーズ)」を設立しました。
自動運転社会を実現するためには、デジタルテクノロジーが不可欠です。自動車運転車両はネットに接続され、車両に搭載されたセンサーが道路状況や周辺の状況を吸い上げてデータセンターに情報を蓄積する必要があるため、IoTが必要になります。また、ビックデータも大切で、各車両からデータセンターに集められたリアルタイムの車両状況データや地図・交通・ドライバーの状況などあらゆるデータが蓄積されます。これらのデータ量は多種多量なほど正確性が向上し、データパターンを解析することで少し先の未来にも共通するパターンを予測できるようになります。最後はAIで、自動車をどのように走らせるかを考えます。この3つのデジタルテクノロジーを確保するためには、各分野のリーディングカンパニーとの協業が非常に重要なのです。
このように、トヨタの発表の中には、現在進行しているデジタルによる産業構造の変革において従来の企業の対応が求められるさまざまな要素が網羅されています。新しい顧客であるミレニアル世代がリードするシェアリング・エコノミーへのシフトに対応するため、メーカーはモノづくりからサービスへシフトしなければならないことや、AI、IoT、ビックデータ時代の到来に向けてすべてのサービスはネットにつながり、リアルタイムに顧客一人ひとりの嗜好に合わせたサービスを提供し、その実行のために協業・作家型の企業体を構成しなければならないこと、顧客に対してシームレスな購買体験を提供することなどです。これらに対応することは、新しい時代に合ったサービスを開発する上で必要な条件になります。
既存企業はこれから、デジタル企業が起こすイノベーションの本質を読んで対応し、事業を再構築しなければなりません。産業の革命時は、既存企業の概念の中で他社とどのように差別化するかというブランド戦略ではなく、どういった事業構造の企業になり、どのような新しい価値を作っていくかという根本的な事業デザインを行う必要があるのです。
著者・室井淳司氏のコメント
本書は、未来を見据えながら「今」を考えることを目的に置きました。研究者にとっての未来はただ未来であれば良いかもしれません。しかし企業戦略家にとっての未来は、10年後を見据えながらも1〜2年後に実装でき、マネタイズできなくてはなりません。
本書では、実現可能性のある究極の未来と、今急速に起きている環境変化をまとめ、変化を俯瞰できる仕立てにしました。企業の変化への対応は、早すぎても遅すぎても失敗します。そのために、戦略に関わるすべての人が、同じ未来感覚と時間感覚を持ち、戦略を適正に判断していくための基準つくりが必要です。その基準、つまり共通認識のデザインに本書がお役に立てれば幸いです。
構成・文:吉成早紀
編集:アプリオ編集部