英語で天皇陛下を「Emperor(エンペラー)」と言います。エンペラーとは、すなわち皇帝のこと。現在、世界に王(King)はいますが、エンペラーと呼ばれる人は天皇陛下ただ1人しかいません。つまり日本は、世界唯一の「帝国」とも言えます。国際社会では、エンペラーの天皇は王よりも格上とされていますが、その理由や両者の違いをご存知でしょうか。このような、王室にまつわる疑問に答えるのが本書です。日本の皇室やヨーロッパの王室、中東やアフリカなど全世界の王室や、フランスなど王室が残らなかった国の歴史や理由などについて、わかりやすく解説しています。
参考文献:教養として知っておきたい 「王室」で読み解く世界史(宇山卓栄著/日本実業出版社〔2018年12月出版〕)
なぜ、王は「血統」が重要視されるのか
いま、世界に王室はいくつあるでしょうか。18世紀のほとんどの国には王がいましたが、市民革命や民主化、植民地支配、共産主義革命などによって、現在は27の王室しか残っていません。
アジアに存在しているのは、日本や東南アジアを中心とした6つの王室です。2016年までは、タイのラーマ9世(プミポン国王)が、在位70年で生存する在位最長の王でしたが、現在はイギリス女王エリザベス2世が最長になっています。
ヨーロッパは、イギリス王室をはじめ、北欧のデンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3国、ベネルクス3国と呼ばれるベルギー、オランダ、ルクセンブルクなどの王室が残っています。特に現在のスペイン王室は、フランスのルイ14世の血統を受け継ぐ、ヨーロッパの中でも最も歴史の深い王家です。中東にも、サウジアラビアなどを含めた6つの王室があります。
これら王室で最も重要なのは、「血統」です。かつては、血統や家柄で結婚を左右された時代がありましたが、血筋だけで人間の価値は決まらないという認識が一般化し、あまり重要視されなくなりました。しかし、王室はまったく違います。王が王であるためには、王の血統を引き、その血統を残すという、血統の連続性を保つことにかかっているのです。
ではなぜ、これほどまでに血統を重視するのでしょうか。それは、王の自己満足のためなどではなく、民衆のためなのです。誰でも王になれるとしたら、野心家たちによって争いが勃発し、戦争の絶えない世の中になります。そこで、王位継承者を王の血統のみに限定することで、一般人が王位を狙うことを未然に防いだのです。つまり、王の血統は秩序と同義。血統の継承の連鎖によって戦争を防ぎ、国家を安泰に保っているのです。
皇帝は王よりも偉いのか?
上記で触れた通り、世界で「エンペラー Emperor(皇帝)」と呼ばれる人は、日本の天皇ただ1人だと説明しました。皇帝は、一般的に広大な領域を支配する君主であり、複数の地域や国、民族の王を配下に持つものです。したがって、天皇のみがKing(王)よりも格上とされるEmperor(皇帝)とみなされるのです。その意味では、天皇は日本1国の君主でしかないため皇帝よりも王に近いとも言えますが、天皇という言葉の意味や歴史的経緯からEmperorとみなされ、その称号で扱われることが国際社会での儀礼となっているのです。
ここで、最古の帝国ローマ帝国の皇位について考えてみましょう。カエサルやアウグストゥスが築き、約400年続いたローマ帝国は、西暦395年に東西に分裂します。これによって西ローマ皇帝と東ローマ皇帝が誕生しますが、西側はゲルマン民族などによって滅ぼされ、ゲルマン人一派のフランク族が統一。フランク族・族長のカール(大帝)が西ローマ帝国を復活させ、カールの血を引くオットー1世へと皇位が引き継がれます。彼はドイツ王でもあり、神聖ローマ帝国を樹立します。神聖ローマ帝国といっても、その実態はドイツ一国を支配していたに過ぎず、皇位を引き継いだということのみで「帝国」を名乗っていたのです。その皇位は、15世紀にオーストラリアのハプスブルク家によって世襲されるようになり、ハプスブルク家が最終的な皇帝家となります。
対して東ローマ帝国は1000年にわたって帝国が続きました。1453年にオスマン帝国に滅ぼされた後、1480年にロシア貴族のモスクワ大公イヴァン3世が東ローマ皇帝位の後継者となることを名乗り出、彼の子イヴァン4世の時代以降、ロシア人が皇位を引き継いでいきます。
このように、ヨーロッパの皇帝家は、その先祖を辿るとローマ帝国の皇帝に行きつきます。ただし、血統や血脈を受け継いでいるのではなく、1つの系統が続く日本の万世一系の皇室とは違います。優秀な人物を養子に迎えて皇位を継がせたり、実力者の武力闘争やクーデターによって皇帝になることも少なくなく、皇帝に血統は必ずしも必要ではありませんでした。
ナポレオンが王ではなく皇帝になったのも、それが理由です。皇帝は王よりも格上の存在ではありますが、王は血統の正当性が前提となるため、どこの馬の骨ともわからないナポレオンは王にはなれなかったのです。ただし、神聖ローマ皇帝位をハプスブルク家が世襲し始める15世紀には皇帝位にも血統の継承性が重んじられるようになり、王位の継承とバランスをとることが定着します。そのため、ナポレオンが19世紀初頭に突如皇帝になったことは、ヨーロッパ保守派の間では到底認められず、嘲笑の的となってしまったのです。
日本皇室だけが万世一系なのはなぜ?
世界では、実力者が皇位を継承するケースがほとんどでしたが、日本は万世一系を貫いています。なぜでしょうか。国連女性差別撤廃委員会という機関が、2016年に日本の皇室典範に対して「女性差別」という認定を下し、話題になりました。同委員会は皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別であると批判し、皇室典範の改正を求める勧告が日本政府に突き付けられ、最終的に取り下げられることになりました。しかし、日本人でも女性差別だと思う人もいるのではないでしょうか。
『皇室典範』は、女性差別を意図するものではありません。「男性天皇」や「女性天皇」は単に性別を指すものですが、「男系天皇」や「女系天皇」といった言葉があり、これらは性別とは関係がありません。「男系天皇」は、「皇族の父親と一般女性」の間に生まれた天皇のこと。仮に、愛子さまが天皇に即位されたとすると、男系の女性天皇になります。対して「女系天皇」は「皇族の母親と一般男性」の間に生まれた天皇を指し、例えば愛子さまが一般男性と結婚して男児を生んだとすると、その男子が天皇に即位すると「女系の男性天皇」になるのです。しかし、わが国では歴史的に「女系天皇」を認めてきませんでした。かつて8人の女性が天皇になりましたが、いずれも「男系の女性天皇」で、民間女性を皇后などに迎えて皇族にすることはあっても、民間男性を皇族にしたことはありません。なぜでしょうか。女性天皇が民間男性と結婚して子供を生んだとします。すると、生まれた子はその民間男性の家系の子になり、その子が皇位を継承すれば、民間男性の家系の新しい王朝となってしまうためです。
このように、女系天皇を認めると皇室が民間人に変わってしまうことになるため、日本では女系天皇を歴史的に認めていないのです。女系王の即位によって国が乗っ取られたので有名なのは、スペインでしょう。ハプスブルク家の皇子フィリップは、スペイン女王フアナと結婚し、カール5世(スペイン名:カルロス1世)が誕生します。スペイン王国に男子の世継ぎがなかったため、カール5世がスペイン王位を母フアナから相続し、スペイン王国はハプスブルク家に乗っ取られた形になります。この手法でハプスブルク家は、オーストリアやドイツ、オランダ、ベルギー、スペインなど広大な領土を有する大帝国、神聖ローマ帝国になったのです。
著者・宇山卓栄氏からのコメント
王室が残っている国と残っていない国、たとえばイギリスとフランスはなぜ、運命が別れたのか。両国の国民はなぜ、そのような運命の選択をしたのか。強大な皇帝制を誇った中国人はなぜ、それを葬ったのか──。
彼らの王(皇帝)の歴史を見れば、彼らが自分たちの国に、どのように向き合ってきたかがわかります。王室の歴史はそれにかかわった人々とその子孫たちの本性、彼らの社会の実態を映し出します。王がたどった歴史はその国の、その国民の「履歴書」です。この「履歴書」はウソをつきません。
ご譲位を控えたいま、世界の王室の歴史について考えながら、日本皇室を考えてみること。それが日本の根幹を知り、世界を知ることにつながりますので、ぜひこういったタイミングで読んでいただき、関心を高めたいものです。
構成・文:吉成早紀
編集:アプリオ編集部